次の時代の生き方・考え方を学ぶ「新・学問のすすめ」プロジェクト(土橋塾) がスタート!


大きな変化の波のなかにあるこの時代、これから何を意識し、どう生きていけばいいのか? ハラでつながる会「身体感覚セミナー」でもすっかりおなじみになった医師・土橋重隆先生による、これまでの価値観・発想を見直し、「考える力」を磨いていく新しいプロジェクトがスタートします。

題して、「新・学問のすすめ」プロジェクト。医師という肩書きだけでは収まりきらない、土橋先生の発する示唆に富んだメッセージを、幕末の動乱期に慶応義塾を興し、その先見の明をもって“次の時代のすがた”を伝えた福沢諭吉の事績になぞらえつつ、参加者の皆さんとシェアしていきます。

セミナーや著書を通じて土橋先生のお話に接してきた方はもちろん、自分の生き方・考え方を見直し、もっと自由な発想、生き方を身につけていきたいと思っている方の参加も大歓迎。席が限られていますので、ご興味を持った方は早めのお申し込みをお願いします!

第1回「新・学問のすすめ/土橋塾」概要

日時 2015年4月30日(木)18:00〜21:00(受付開始17:50〜)
*2ヶ月に1回開催(次回は6月下旬を予定)
場所 恵比寿周辺を予定(申し込みされた方に詳細をご案内します)
話し手 土橋重隆(医師)
聞き手 長沼敬憲(リトルサンクチュアリ代表)
定員 10名
参加費 3000円(お茶代別・当日、現金にてお支払いください)

|お申し込み

メール(contact@thunder-r.net)にて、

①お名前(ふりがな)

②メールアドレス

③参加人数(お名前も明記してください)

④当セミナーを何で知ったか(初回の方のみ)

件名に「4/30土橋塾申し込み」とご記入のうえお申し込みください。
折り返し返信をいたします。

*メールをいただいてから2日以内に返信いたします。
*返信メールが「迷惑メール」に振り分けられるケースもあるようです。
もし連絡のない場合、迷惑メールのフォルダのご確認もお願いします。

 

|主催
ハラでつながる会(詳細はこちら⇒http://little-sanctuary.net

★土橋先生の発想・考え方について知りたい方、下記の一文をご覧ください。

前提を持たずに考える「哲学的思考」のすすめ

人にはそれぞれの思考パターンがある。長年の習慣でもあるので、あまり自覚されていないが、私はそれを、①科学的思考、②宗教的思考、③哲学的思考の3つのパターンに分けて考えるようにしている。

一人ひとりのなかにこの3つのパターンが混じり合っているわけだが、現代の日本人の多くは、①の科学的思考の割合が大きいだろう。

それは目の前に起きた事実から物事を考え、解釈しようとするものだ。

この本でも話したように、とりわけ西洋医学は、こうした科学的思考で成り立っている。実際、医者は肉体に起きた変化を「数値」と「画像」という事実に表して診断、治療を行っているし、患者さんの多くもそれを受け入れているだろう。

これに対し、②の宗教的思考は目には見えない「神仏」や「奇蹟」を絶対的前提としている。この場合、数値や画像は必要とならず、目の前に起きた事実は前提にはならない。「無宗教」の日本人にはピンと来ないかもしれないが、世界を見渡せば、こうした思考を拠り所にしている人もかなりの数に上るはずだ。

③の哲学的思考は、これらの前提そのものを置かず、つねに「なぜか?」を問い続け、起きた現象の「意味と関係」を追求していくものだ。

事実を前提に生きてきた人にとっては、科学的思考の西洋医学が当たり前であり、いちばん理解しやすいのかもしれないが、そこに不完全さを感じ、飽き足らなくなった人のなかに「意味と関係」について考える人が出てくる。

目に見えるもの(科学的思考)から目に見えないもの(宗教的思考)に価値観を変えるのではなく、まずは前提を取り払い、自分の納得ができる答えを見つけていくのだ。

外科医として、目の前の事実だけを受け止めてきた私が、こうした「意味と関係」に興味を持ってから、気がつけば十数年が経過した。

一般的には、病気は悪いもの、排除されるべきだと考えられ、医者に行くとそうした前提で話が進んでいく。患者さんの多くもそう思っているかもしれないが、哲学的思考をする私の中では「何事も長所半分、短所半分」が原則。したがって、ガンにも意味と価値があり、やはり長所半分、短所半分と言えるものなのだ。

事実、西洋医学の常識では治らないとされる末期のガンでも、なぜか治癒してしまうケースが少なからずある。このような症例はなぜ起きたのか? 治る人と治らない人では何が違うのか? そもそも、なぜ病気になるのか? こうした疑問を探ることが、いまの私にとってライフワークにほかならない。

医学部を卒業してから、「普通は嫌だ」という思いに突き動かされるようにして最新医療に関わってきたが、外科の第一線から離れたいまもなお、どの医者も踏み込んでいない未知の分野にいることを感じる。技術の進歩を追い求めた従来とはまた次元のちがう、意識の変化をうながすようなイノベーション(革新)が、いま求められていると思うのだ。

もちろん、こうしているいま、日常の診療をやめてしまったわけではない。
最近では、西洋医学を否定的にとらえる人も増えてきたが、一方で、西洋医学しか受け容れられない人が大勢いるという現実がある。

短所を指摘してもきりがない。こうした人には西洋医学が必要なのであり、そこにも意味と価値がある。つまり、事実は一つしかないが、個人的真実は十人十色。病気という事実は一つであっても、それをどのように受け止めるかは個人的真実の領域だ。いろいろな解釈ができ、それによって対処法も違ってくる。

医者は患者さんを選ぶことはできないから、こうしたいろいろな個人的真実を受け入れられる人格でなければならない。私が保険診療の現場に身を置いているのは、ここから離れては、医者という仕事のバランスが悪くなると感じるからだ。治療法と関わりなく患者さんが治っていく現実を考えると、このバランスが一番大事だと思うのだ。

(『死と闘わない生き方』より抜粋)